ちょうどいい舞台

まるちゃんのギ/ル/バ/ー/ト/グ/レ/イ/プを当日券で観てきました。当日券の電話がつながるなんて夢にも思ってなかったから、電話を切った後手が震えて仕方なかったよ・・・。そして会場行って席ついたら、超見切れ席ではあるものの、実質最前列という幸運にめまいがしました。シーンによってはほんの3メートル以内に麗しいまるちゃんが確かに存在していて、めんたまがつぶれました。あーまるちゃん本当に美しかった。観に行くことができて本当に良かった。
以下ネタばれと、わたしの感じたことについて書きます。正直に書くので、不快なこともあるかもしれません。開封注意。
とりあえずせっかくなんでまるちゃんのかっこよかったところを書いておく。順不同。

・ 田舎もの特有の卑屈ないらだちを身にまとったまるちゃん、不機嫌そうな顔が本当に美しい
・ 不思議ちゃんに振り回されてキッチュウしたくてモジモジしたり肩を抱こうとして失敗に終わるふがいないまるちゃんかわいい
・ 狂言自殺に振り回されて川に飛び込もうとしてシャツをめくって生の腹を出すまるちゃん、が見切れ席ゆえ死角で、シャツめくれてない背中しか見えなかったときの悔しさたるや筆舌に尽くしがたい
・ わたしの3メートル以内に近づいてくるまるちゃんの圧倒的な美しさに息飲み過ぎて呼吸困難を起こす
・ エプロンを乱暴にはずしてぶん投げるんだけど(ただの衣装の早替え)わたしはエプロンになりたい。
・ 不倫どすけべシーン(服も脱がないし、シーツぐるぐるまきだしたいしたことないけどね^^^)でのまるちゃんの「ああー・・・」って声が、全然いやらしくなくて、ほんとまるちゃんかわいいなって思いました。わたしにとってまるちゃんは正しい人です。いや、まるちゃんがどすけべまんが読みながらポテトチップス食べるしょうもないひとなのはよく知ってますけども^^^それでもまるちゃんは、わたしにとってまっすぐで正しくてまぶしい人だから、不倫どすけべとか本当に似合わなくてものすごく愛しいです。
・ 椅子をなぎ倒しながら泣き叫ぶまるちゃん、わたしは椅子になりたい
・ カーテンコールで、ぎこちなく笑って会場にお辞儀するまるちゃんほんとかわいかった。中尾くん(知恵遅れの弟役)が、まるちゃんに飛びついて抱きついていて、その光景の美しさたるや・・・このままこれ宗教画にできるんじゃないか・・・(自分こわいです

まるちゃん本当に素敵でした。いちまるちゃん好きとしての意見はここまでにしまして、以下素直に感想を書きます。わたしは割と舞台が好きで、観に行くこともたまにあるので、そういう観点からも感じたことをのこしておこうと思う。


























わたしは、普段からアイドル曲は「アイドルを観るための手段」とか結構失礼なことを言っているのですが、アイドル舞台もまた「アイドルを観るための手段」であるということを改めて感じさせられました。まるちゃんはずっと舞台に出ずっぱりで、台詞もとんでもない量でした。まさにまるちゃんを観るための舞台で、その点では大成功を収めていると思います。でもその制約がこの舞台を奇妙に歪ませている部分があるんじゃないかとも思いました。いちまるちゃん好きとしては、かっこいいまるちゃんがたくさん観られて本当に良かったです。まるちゃんかっこよかった〜。素敵だった!正直これがいちばん正しい感想なんじゃないかと思っている。だからこの下の文章は多分きっとただの蛇足。

なんだかまんがのような舞台でした。ギルバートが台詞を言いながら、後ろのスクリーン*1に、ギルバートの心の声が文字情報として出てくるのです。たとえば「そうだな・・・」などと言いながら、後ろには「この土地も家族もみんな憎い!!」くらいのひどいことが書いてあったりします。「台詞ではこう言ってますけども、本当はこう思ってますから」と作り手からいちいち注釈が入る感じ、といえばわかりやすいでしょうか。そしてギルバートは本当に良く喋る。通常の台詞に加えて、状況説明やモノローグ*2も台詞として追加されているんです。まるちゃんたいへんだったろうなと思いました。正直観客も情報量が多すぎてたいへんでした。でもそれって本当に必要なんでしょうか。ギルバートの本当の気持ちを伝える手法は、台詞以外にもいくらでもあると思うんです。役者の表情や小道具、音楽、なんだっていいんです。それを見てギルバートの本当の気持ちに思いを巡らせることができる、そういう余白があるから、観客は感情移入できるんじゃないでしょうか。今回の舞台の作り手はギルバート(とその周辺の人々)の人物像をガチガチに固めて、そこからはみ出すことを、役者にも観客にも許さない人なんじゃないかなと思いました。これはいち舞台好きの意見だと思っていただければ。考えようによっては、舞台を見慣れていない人に対して親切と思えなくもありません。個人的には「観客のこと、ジ/ャ/ニ/オ/タだと思ってバカにしてますよね><ひどいや><><」とは、まったく思っておりません。本当です。今回のガチガチお伝え手法は観客と作り手の解釈における齟齬なくそうということだと思うのですが、あちらが溝を埋めようと何か言えば言うほど、両者の気持ちのすれ違いが生じている気がします。でもね、わたくしそれなりに舞台を観て参りまして、観客に判断を委ねるという余白のたっぷりある舞台も観てきましたけれども、だから何?と思うことも正直多々あったんです。ガチガチお伝え手法がいいとは思ってませんけど、観客に投げかけすぎなのも戸惑うんですよ。いい舞台とは、「ちょうど」いい舞台なのかもしれません。たとえばテンションの高い親戚のおじさんに、年二回の頻度で会うくらいのちょうどよさ*3、そういうものを求めているのかもしれません。なんか結局ものすごく普通の感想にたどりついてしもうた。
わたしの好きな人は演技派の戦士とか言われて、実際に素晴らしい作品で数々の成功を収めてきた人なんですけれども、あまりにも中の人が好きすぎて、その演技がどれほど素晴らしいのかすらよくわからない、どんな役を演じていても中の人が透けて見えてしまうという残念脳(これ本当に失礼だから直したい)ですし、そもそも演技のうまい下手については「大根だったらさすがにわかる(時もある)」程度のひどすぎる目しか持っていないので、まるちゃんの演技についてウンヌンなんてとても言えたものじゃないのですが、ちょっとだけ。わたしはまるちゃんの演技仕事をフリーターでしか観てない*4んですけど、フリーターのまるちゃん、正直暑苦しいな〜(^ω^)と思ってたんです。役が暑苦しかったということもあるだろうけど、それにしても暑苦しかった。でも今回の舞台は、幕が上がって、まるちゃんが話しはじめた瞬間、「いつものまるちゃんじゃない・・・!!」て衝撃を受けたことがすごく印象に残っています。声が全然違っていて、無理のある声ではないんだけど、明らかに普段のまるちゃんじゃない、とわかった。まあ相変わらずちょっと暑苦しかったんだけどw まるちゃんすごいな、良い仕事してるな、って素直に思いました。あと、舞台の中でちょっとしたユーモアがいくつかちりばめられていて、観客からも笑いが起こっていたんだけど、そのどれにもまるちゃんは参加していないのね。あくまでもまるちゃんは傍観者という立場を貫いているので、ここまるちゃん参加したかったんじゃないか、つうか「まるちゃんのための舞台」ってことに徹するのであれば、普段のキャラクターを踏まえて、笑いには参加させた方が本人・観客ともに幸せだったんじゃないかとわたしは言いたい。そういう余裕がある(ように見せる)のも嬉しいし。アドリブである必要はなくて*5、そういう本だったらよかったのになーと思いました。
それから本谷でおなじみの吉本さんがいて、なんか安心しました。あと不思議で特別な女の子(の役を演じる女優さん)について、ちょっと思うところがあるので、そのことをまた別の機会に書いてみたいと思います。

*1:(正確にはスクリーンではないんだけど、まあそこはいいです)

*2:スクリーンに出してるのに、さらに口でも説明するとか・・・同じこと言ってるわけではないんですけど、説明が過剰です・・・

*3:(二/丁/拳/銃のちょうどエエネタですあしからず)

*4:ごめんねウタオニ挫折して本当にごめんね

*5:アドリブにすると事故起きそうw